ブッダイズム的な理想の入学式とは?

そろそろ、入学式のシーズンですね。

自分の学生時代を思い出すと、非常にお恥ずかしい話ですがまともに勉強していた記憶がありません。何に一生懸命だったのでしょうか・・・。それはそうと、自分も一時期は入学式なんてめんどくさい事してなんの意味があるのかな。などど考えたことがあります。

今思えば、実に表層的なものしか見えていなかったものだと反省するのですが大部分の人は、目に見えるものをとても重視します。人は視覚から大半の情報を得るものです。(80%とか90%とかいわれるほどです)しかし、物事の本質は目に見えるものではありません。言わば、理念や人の想い、そういったものが根幹となって様々な形が生まれていくのです。

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すこし説明が長くなったところで、ブッダイズム的な理想の入学式とは?

人生を変えていくような強い想いを入学式を通じて抱けるかどうかだと思います。
強く、強く、心が揺さぶられるような感動を覚える入学式なんか最高じゃないでしょうか。

ただ漠然と参加し、よくわからず終わる式典など、双方にとって不幸だと思います。

他にも大事な事は色々ありますが、ブッダイズムの基本は社会を人の心を通じて見ていく哲学です。心が強く社会にとって素晴らしいものであれば社会は自ずとその志に応えていくものなのです。「少年よ大志を抱け」とはよく言ったものですね。

心が正しければ人生が豊かになり、間違っていれば病むものです。
先人が残した想いを組んで社会を導いていく若人が入学式を通じてたくさん生まれると良いですね。

(住職)

※ブッタイズムというのは、当寺が提唱するブッタの流れを組む哲学という造語です。