終活セミナーに参加して思うこと

先日福岡市内で終活セミナーに参加する機会がありました。
保険や預金、相続、遺言いろいろ実務的な話を聞かせていただき、確かに
準備はしたほうが良いだろうなぁという感想でした。
と同時に多くの人は自分が死ぬという不都合なことをで

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きるだけ考えたくないという気持ちもよく理解できます。誰しも見たくない事実は避けて通りたいと思います。
人は生まれた以上、今の世界では必ずいつか死ぬことになります。
そのときに悔いながら、失意のうちに亡くなるのか?自分の人生は悪いものではなかった
と周囲に感謝して「ありがとう」といって旅立てるのかはその人のものの見方・考え方によると思っています。また自分の生きた証を次代に残したり、未来に対して希望を抱くことができるように心のケアをしてゆくことは私たちの役割だと思っております。
古来からある魂の不滅や天国の存在はそういった希望の一つの形だと思います。

私と生前交流のあったある職人さんの話ですが、晩年に彼と共にひとつのお堂を作りました。しばらくして彼は天寿を全うし亡くなりました。彼の作った作品は今もお寺の境内にあります。そして残された奥さんや子供さんやお孫さんが時々お参りに来て「このお堂はおじいちゃんが作ったんだよ」といいながら皆でお参りをしている姿を目にします。


人の肉体は自然の摂理で亡くなりますが、その人の想いや残されたものは時を越えて残るものだと思います。心のケアや引き継がれる想い、私たちにできることはまだたくさんあるのではないかと思っています。お寺という仕組みは時や世代を超えてお預かりしたものを守り抜くという性質があります。また死後の世界への案内人でもあります。そのための作法や仕組みが多く伝わっています。目に見えないもの形の無いもの、今すぐ手に取れない分かりにくいものですが、本当に大事なものは物・形に無いところにあります。
多くの人が目先の分かりやすさを求めること、それが生きるために必要なことも承知しています。人の想いが時を越えるためのお手伝いや死後の未来に希望を抱けるお手伝いをさせていただけたら良いなと思っております。先人が2500年にわたって残してきた仕組みにはそれなりの根拠はあると思っています。(道陽)