どこでもお墓参開発に対する想い

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どこでもお墓参を今日リリースしました。

世の中のお寺の関係で困っている人をなんとかしたいという想いで作りました。
月6万円前後の国民年金のみで生活している方、日々の食事や生活費を切り詰めてまじめに一生懸命生きている人に払うことが出来ない高額の費用はとても出せないという光景を多く見てまいりました。
家族やご先祖さまを大事にする気持ちをきちんと持った人が、経済的な理由だけで供養をあきらめなければならない。この問題をどうにかしたいと考えました。

ただお寺といえども運営もあり、建物を維持し・職員の生活を守り・電気ガス水道などの費用を払い当たり前に費用を使います。
成り立たないことをすれば、多くの方に迷惑をかけてしまいます。

ITを使いある程度のボリュームがあり、空いている時間・設備をシェアすることが出来れば今よりも経済的な価格でよい供養を提供できるのではないかと考えました。

多くの方は日々自分が生きるのに精一杯で余裕が無い状態にあります。
お寺としてほんの少しでも共に社会の役に立つ活動が出来たらと思って行動しております。
家族への愛情や心のこもった供養が仏前や墓前に供えることが出来れば、その法事は型どおりでは無いかも知れませんが良い法事だと思います。

従前の形で費用をかけて供養できる人ばかりでは無いです。そういった方々がお寺から
縁遠くなりますます人生の知恵を得ることが無くなり生き難くなる。そういった悪循環を少しでも防ぐことが出来たらという想いがあります。

仏教は生きている人の問題を生きているうちにどうにかする知恵です。形の無いものは無いものだから省略する、一見合理的ですが、あまりにも物に偏りすぎた視野です。本当に世の中で上手くいくものは物や形にならないものが動かしています。分かりやすいものではないけれども、丁寧にその価値を伝えて理解して頂く活動は必要だと思っています。

私たちは葬儀や墓地、法事の簡素化の流れはもはや止めようが無いと見ています。ただそうであるならば、その流れを受け入れた上で本来の仏教の働きからみた機能を専門家としてなんとか残すようにする必要があると考えております。世界には無意味なものは存在しません。出来ればその意味に気がついていただいて、人生を生き抜く上で生かしていただけたらよいと思っております。(道陽)