なぜお寺をやるのか?

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なぜお寺を続けるのか?これは私の原点になります。
仏教で日本を良

 

くしたい。社会を幸せにしたい。関わる人を幸せにしたい。
その想いが強くあります。
どうして、このような想いを抱くようになったのかといえば、私の生い立ちにあります。
私の家は祖母が僧侶になったことでお寺の業界に縁になることになりました。
父も私が小学生の頃、事業を廃業し僧侶になっています。

私は檀家寺でないお寺の環境で育ちましたが、本当にお寺や宗教というものが嫌いでした。
訳のわからないまじないや祈祷、供養や功徳といいながら多額の布施を取る。
困った方の相談を聞きながらもほとんどが解決しない。短期的にその場は良くても長期的にみて人生が好転しない。後には一生懸命やったのに効かないではないかとクレームやトラブルになる集会で集まった人同士が苦しくてストレスが多いため、すぐにいがみ合いや喧嘩になる。自分の中での宗教の評価は最低でした。こんなものをやるくらいならもっと学問やビジネスをやって社会で活躍したほうがマシだと思い、後継者にならないためにあえて進学先を仏教系の大学を避けたほどです。

そんな私が今では皆さんに仏教の話をして、仏教は良いものだとお勧めする側になっています。縁あってお寺をやる中で「あなたたちは効かない」「宗教は詐欺だ」まぁ、いろいろ罵声も浴びどうしたら社会の役に立つきちんとした仏教になるのだろうかと本気で悩んだ時期もありました。
また、個人の心の救いには多少なっても組織や法人・団体の救いにはならないこともずっと気になっていました。古来の仏教は各国の国や地方の領主・国王に特に支持されていたのにその働きがまったくないことにも大いに疑問がありました。

今、あまりどこかの信徒さんであったり檀家さんとして仏教に深く関わらない方々の不信感というのはとても共感できます。私自身がまったく信じていない人間でしたので、大いに疑問に思っていたことです。でも、この世界に本当に本物があることに気がつき、人生が実際に一変した経験をしてからは自分のやることに意味と自信を持つことができるようになりました。できればこの体験を皆さんにも味わって欲しい、絶望の人生が変化した奇跡を同じように起こして欲しい。この先人たちの遺産を使ってこの国や社会を、それぞれの人生を良くして欲しいそう思うようになりました。この想いで今は活動を続けております。(道陽)