改宗とは、信仰する宗教を替えること

「改宗」という言葉、あまり聞き慣れないですよね。

改宗とは、宗教を替えることです。

日本人は特定の宗教を自発的に信仰しているという意識があまりないようなので、いまいちピンとこないかもしれません。

しかし、「宗旨替え」と聞くと、多少は具体的なイメージができるのではないでしょうか?

付き合いのあるお寺を替えることは、宗旨替えにもつながってきます。

現代は、学校や仕事や結婚などで、さまざまな土地に引っ越して生活します。

昔のように、生まれた場所で生活し続けて亡くなっていくことの方が、稀かもしれません。

こうした社会の状況が背後にあるために、改宗や宗旨替えは現実的な問題として私たちに迫ってきます。

離檀(りだん)とは、先祖代々を供養してくれたお寺を離れることですが、この記事では離檀家中心に、改宗や宗旨替えについて考えていきたいと思います。


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【檀家制度の始まり 家とお寺がセットになった】

 

日本国憲法では信教の自由が保障されています。

ですから、どんな宗教を信仰しても構わないのです。

とはいえ、個人の信仰とは別に、日本のイエ制度には常にお寺の存在がその背後にありました。

これは、江戸時代に幕府が敷いた「檀家制度」が現代にもなお影響を残しているからです。

民衆はかならずどこかのお寺の檀家として所属しなければならず、菩提寺は檀家の葬祭供養を独占的に取り仕切りました。

江戸時代まではそのような社会システムはなかったのですが、キリシタンの排斥や戸籍の管理のために幕府はお寺を出先機関のように利用したのでした。

その家に生まれる、あるいはその家に嫁ぐということは、必然的にその菩提寺の檀家になることを義務付けられます。

現代では、信教の自由が保障されているので、そうした強制力はありません。

しかし、代々の先祖の供養を任せています。

また場合お寺のお墓の中に先祖が眠っています。

このような状況下では、そう簡単にお寺を替えるなどできないでしょう。

現代においても、檀家制度は未だに強い影響力を持っているのです。

 

 

【現代人の悩み 墓じまいや改葬などで、改宗が迫られる】

 

大分生まれの人が東京の大学に進学し、就職したまま定住してしまった。

親は大分にいるし、先祖の仏壇も墓も大分にある。でも大分に帰る予定はない。

さあ、親を、仏壇を、墓を、どうしよう。

こうした話は本当によくあるケースです。

東京に生活の基盤があるけれど、親も先祖も大事だから、お墓を引っ越ししたい。

こう考えるのはごく自然なことです。

決してそのお寺が嫌になったとかではなく、やはり家から近い場所で手を合わせたいと思うからこそ、墓じまいや改葬をせざるを得なくなるのです。

現代において改宗や宗旨替えは、信仰心の問題ではなく、生活環境の変化の問題なのです。


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【檀家を離れる際には”離檀料”が必要なことも】

 

お寺の檀家をやめることを”離檀”と呼びます。

長年付き合ってきたお寺との関係を終えることですが、”離檀料”を請求されることもあります。

この離檀料に法的な根拠はありませんので、用意しなくてもいいですし、任意の金額でも構いません。

と、言葉では簡単に言えますが、これまでお世話になったお寺に「◯◯円を離檀料として納めてください」と言われてしまったら、やっぱりなんとかお金を工面して支払ってしまうものです。

お寺は"宗教"ですから、法律で割り切れないところがあります。

法律上は問題ないとしても、私たちの心情的に納得できるかどうか。

ここがとても大切で、とても難しい部分ですよね。

とはいえ、これまでお世話になったお寺です。

お礼の気持ちを込めてお布施として包む行為そのものは大切なことだと考えます。

金額については、もしも納得がいかないようでしたら、お寺と話し合いましょう。

それでも受け入れてもらえなければ、

「これが精一杯の気持ちです」

などと言葉を添えて、任意の金額をお渡しすればいいのではないでしょうか。

角が立つことはおすすめしませんが、それでも受け入れてもらえなければ弁護士などを立てるほかありません。

 

【寺院境内にお墓があって墓じまいする場合には、離檀は避けて通れない】

 

寺檀関係は、檀家の側から一方的に連絡を断ち切れば、自然に消滅させることだってできます。

もちろん筆者はそのような方法はおすすめしませんし、お寺との関係も、他の人間関係と同様に、礼儀正しくするべきだと考えます。

ただし、お墓が寺院の境内にある場合は、寺院との交渉は避けて通れません。

お墓や遺骨を守ってもらっているからです。

また、寺院境内での工事は指定石材店がいることが多く、費用も言い値になってしまうことがあります。

このあたりは十分に注意しておきましょう。

 

 

【戒名の授け直しが必要な場合もある】

 

さて、新たに檀家になるにあたって、新しい戒名を授からなければならないこともあります。

戒名とは菩提寺から授かる仏弟子としての名前です。

すでに他のお寺から戒名を授かっていることをよしとしないお寺もあります。

戒名は、宗派によって使用する文字や形式が異なるため、同じ宗派同士のお寺であればまだしも、宗旨替え、つまり違う宗派のお寺へ移るのであれば、なおのことその宗派に則った戒名を求められるかもしれません。

その場合、戒名料を納めなければなりません。

中には、すでにいただいた戒名のまま受け入れてくれるお寺もありますので、必ず事前に確認しておきましょう。


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【金剛宝寺の基本姿勢は ”来る人を拒まず、去る人を追わず”】

 

金剛宝寺には檀家がいないそうです。檀家制度に頼らないお寺なのです。

土地に縛られたり、先祖代々からの付き合いの延長として寺檀関係を維持するのではなく、どんな人でも受け入れるという、本来あるべきお寺の姿を目指して取り組まれています。

檀家制度は江戸時代の産物。それまで人々は、この家に生まれたからこのお寺を信仰しなければいけない、などと信仰が強制されることはありませんでした。信仰したいと心から思える僧侶やお寺に手を合わせ、喜捨(きしゃ:お布施などを施すこと)していたのです。

これが、信仰の本来あるべき素朴な姿なのかもしれません。

金剛宝寺には、檀家制度がないから、そもそも”離檀”という考え方もなく、当然、離檀料というものもありません。

また、すでに他のお寺から戒名を頂いている場合も、その戒名のまま受け入れてくれるとのこと。

しかも、もしもつけ直しを希望する人には、無料で新たな戒名を授けてくれるそうです。

”檀家”や”戒名”のような制度や形に捉われない姿勢。

これこそが、本来あるべき、お寺の姿のように思われます。 文責・十村井満