お布施の額は周りの声が気になる?気にならない?

お寺付き合いのもっとも嫌がられている事のひとつがお布施の額です。

多くの人にとってお金は大事です。そのお金が予定より多く出す羽目になると大変な苦しみが生まれてしまうのです。お金に相当な余裕がない限り、時価という寿司を好んで食べる人ばかりではないでしょう。いくらと言われるかわからないからです。

ところが、お寺はお布施はお気持ちという名の時価です。お寺によってはお布施が安すぎるといってつき返すところもあると聞きます。そこで、困った檀家さんたちが周りの声を聞いて、誰々さんはいくらのお布施だったらしいとか、あの人はお布施が少なかったから相当嫌味言われたらしいとか。周りの声を気にせずにはいられないようなお寺もあります。

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なぜ、そのような不確定なお布施なのでしょうか?それは、

お寺のお布施=お寺の住職さんの考え方

だからです。そこの住職さんの考え方一つでお布施の額が決まるわけですから、まったく基準はありません。お寺の格が高いから?うちの地区は昔からこの金額?檀家さんの数で頭割りしてる?

色々な理由が述べられていますが、すべてのお寺でお布施に対して独自のルールが採用されている時点でお寺の住職さんの判断だと言わざるを得ません。

ちなみに当寺はお布施は定額です。自分だって時価のものは買いませんので皆様にもそんなことで苦しんでもらいたいとは思わないのです。もともと、お布施がお気持ちでという慣習は、出来ることでお礼をすればいいですよという意味で、農家ならお野菜、漁師ならお魚、家具屋であれば家具など、持っているもので感謝のお礼をするといいですよという意味であって、歴史的には住職がお布施が安いとか高いとか言うようなものではないのです。現在は貨幣経済ですので、お礼は貨幣になりやすいですけどね。

ご供養は元々、感謝の気持ちを供えるものです。その感謝のお供えの一つにお布施があるのです。もっとも大事にすべき気持ちの部分に、嫌々な気持ちがお布施を通じて乗るのであればそれは本末転倒なご供養と言えるでしょう。お布施の事を気にせず、気持ちよくお世話になった人にお参りしていただきたいものです。(住職)