「お墓はなくてもいい」
そうお考えなのですからお寺に良いイメージもないかもしれません。とはいえ仏教でなぜお墓参りが始まったのかを知っておいてもよいと思います。正しい知識があれば、よりよい判断ができて理想の安住の地が出来るでしょう。
お墓は一部の上流階級の人向けの最高級品だった?
現在は石を切り出すというは機械ですからさほど大変ではありませんが、時代を200年も戻そうものならすべて人力です。山から石を切り出し、大量の人力で石を現地まで移動させるわけです。とんでもない高価な墓石だったと言えます。そこで、ご供養の本当の価値を理解している戦国大名や有力商人、庄屋などの上流階級からお墓参りを導入していたのです。この時代は永代供養という言葉は使われてはいませんでした。
なぜ、そこまで苦労して一族の供養を始めたのか?
ここは、仏教の専門家としてしっかり語らなければいけないところです。本来の仏教は人の心を扱う技術に非常に長けています。宗派は特に関係ない仏教の根幹部分です。ご供養というのは、お参りする人がどんな気持ちを仏前にお供えしたかというのがとても重要なのです。人は形がないところに気持ちを込めるのがとても難しい生き物です。なにかしらのシンボルがある時となにもない時ではまったく気持ちの入り方が違います。もちろん永代供養であっても同様です。
では、どんな気持ちが理想の永代供養なのか?
当然、感謝です。この気持ちは人が生きる上でもっとも重要な気持ちで、これが良くできている人は、尊敬を集め、人を心地よくし、謙虚で、よく他人の為に動くことが出来るという素晴らしい人になります。仏教はこの感謝の心を実践する場所を、戦国大名を始め有力商人、庄屋などに一族が栄える働きとして、お墓と一連の法事として伝えたのです。感謝の心が永代供養の大事なポイントです。
明治時代まではほとんどが土葬であった?
明治17年に「遺骨や遺体はお墓に埋葬しなさい」という規則が作られて以降、一般の家庭でも一族のお墓という意識が芽生え始めます。そして、みなさんがイメージする先祖代々のお墓というものに変わっていくのです。ということは、先祖代々の墓にはそもそも、明治以降の先祖しか入っていないということになります。土葬用の墓地は当然、永代供養の対象ではないことになります。
ご遺骨をお墓に収めるという習慣も昭和になってから本格化した
昭和に入ると、日本も火葬が本格化していきます。それまでは燃料が沢山いる火葬は高級品だったのですが日本が豊かになるにつれ土葬が減り、衛生的な火葬になっていきます。これによって、現代のご遺骨を骨壷に収める形の家墓になっていくのです。先祖代々のお骨といっても火葬が本格化した、この時代のものが大半とも言えます。
人は長らく亡くなったら自然に還っていた
ここまでの事から解かるとおり、明治くらいまでは人は亡くなると土葬され大地に還っていたのです。現在、樹木葬や海洋葬、などを生前に選択する人達が一番に口にすることが、私はコンクリートの中に閉じ込められたくない。自由に過ごしたい、自然に還りたいなどです。私自身、ずっとお骨が残るというのは正直嫌です。お骨を未来永劫残し続けたら、長い時間の中で世界はお骨だらけになってしまいますから。では、お寺の言う通りの自然葬的な永代供養ならばいいのか?
お寺が自然葬を求める人に嫌われるような問題点があるのは事実
お寺がどこも素晴らしいと言えないのが今の時代です。
1.仏教やお寺とは葬儀とお墓関連でしか付き合いがない。
2.お寺の儀式はよく意味がわからないし作業的である。
3.葬儀、戒名、お墓などで納得できないような高額のお布施を取られる。
4.宗教の死生観を強要されるが納得できない。
5.なにをされるかわからないので特定の宗教に関わりたくない。
なるほど、納得です。おかげで葬式仏教と皮肉られている始末です。実に情けない話ですね。当寺では、このような世間の声をしっかりと踏まえた上で、活動をしております。
まず、葬式仏教というのは当寺にはまったく当てはまりません。むしろ、どうやって人の悩み苦しみを解くのかを目の前で実践して教えております。是非、一度聞いてみてください。
仏教の儀式が意味がわからないというのも、聞いていただければ何でもお答えいたします。宗教が嫌いだという方が、心変わりするのも当寺の特徴です。今まで納得されなかった方は見たことがないです。
高額な布施を取られるというのもないでしょう。そもそも、私自身なに一つ強制しません。自由が大好きなので。皆さんが求められる事にお答えして、来るもの拒まず、去るもの追わずです。ソフトクリームも無料で配っています。おいしいですよ。
宗教に関わりたくないというのには、当寺は宗教というより仏教的な生き方を哲学としています。ですから、何宗、何教というより人が人に感謝して喜びを分かち合うという価値観の人であればどんな人でも大歓迎です。一緒に社会で喜ばれる活動をいたしましょう。
では次の時代に求められるお墓の形は?
手がかからない自然に還れる永代供養が時代にニーズになっていく
お墓にまつわる代表的な悩みといえば、
1.子供達に負担を残したくない。
2.お墓の面倒を見てくれる人がいない。
3.お墓に関する費用が高い。
4.お墓の意味を感じない。
要するに上記の問題をまるっと解決した永代供養なら素晴らしいわけですね。永代供養は文字通り、その場所でながーくご供養され続けるということですが、感謝の気持ちがその土地に遍く注がれるという点ではご供養の専門設備を抱えているお寺が一番いいわけです。
しかも、管理はお寺の境内ということなら草が生え放題というのもなく、とても快適なのです。そこで問題となるのが費用面です。そこまで、手を掛けてくださる=費用的に高いとなりがちなのですが、そこは立地とお寺しだいです。
都市部のコンクリート建築のお寺は、お参りする人にとっては近い、クーラーが利いてて快適、夕方でも安心、雨でも大丈夫、荒れる心配もないという場所です。しかし、自然に還りたいという人には、長くその場所にご遺骨で残り続けるという問題があるものです。しかも、管理料を取られ続けるので、子孫に負担がかかるというのも嫌だという方もいるでしょう。
しっかり永代にご供養されて、手がかからない、自然豊かな場所がいい
そうです。永代に安心できるご供養があって、手がかからず、子孫に負担を残さず、大地に還っていきたいと思うような場所。それでいて、高い費用ではない。そんな場所ができればいいと思って自分は永代供養を始めました。
しかも、それだけではなく残された関係者が感謝の気持ちを自然に注いでくれるような素晴らしい自然環境や周辺設備が望ましいと思います。お参りに来る人が苦痛な山奥というのはあんまりですね。感謝の気持ちどころか恨みぶしを言われそうです。しかし、永代供養のどの部分を大事にするかで選ぶものが変わるのは言うまでもありません。
樹木葬、海洋葬、ダイヤモンド葬、色々あるけど・・・。
亡くなった本人的にはどれも素晴らしいものだと思います。どれが良いと言うより好み次第というべきですね。木や花が好きなら樹木葬、海が好きなら海洋葬、肌身離さず故人と一緒にいたいならダイヤモンド葬などの手元供養でしょう。他の人のことを考えないならそれが一番しっくりくるし、費用的にも納得だと思います。しかし、ご供養という観点では片手落ちな部分が多いのです。
仏教のご供養の大事な要素としては、利他の精神をはぐくむ場所を子孫に伝えることです。世の中は、他人を幸せにした分だけ幸せになれるという一つの結論があります。子孫や関係者が故人を弔いたい、感謝の意を示したいという気持ちにも、是非応えてあげて欲しいのです。そして、関係者みんなで幸せになって欲しいのです。その為の永代供養といっても過言ではないのです。
お寺が嫌がられていては話になりません。
社会に愛されているお寺を選びましょう、住職とよく話してみてください。
良いお寺との付き合いは、戦国大名や大商人、庄屋などが絶賛したように関係者を豊かに幸せにします。人生に役に立つ仏教を実践できているかをしっかりと自分の目で確かめていただき、責任者である住職とも話して任せるに足るかどうかを確かめていただきたいのです。そして永代供養を内容だけで選ぶようなことを避けていただきたいのです。
一度だけの大事な決断を色んな人に意見を聞いて納得いくまで。
最後に、どんな決断も一生懸命考えたものなら悪いものなどありません。自分の選んだ道を信じて受け入れるだけです。お盆やお彼岸、命日などに寂しい思いをしなくてもいいようにしっかりと後先を考えて決めていく事が大切なのです。わからない時は是非、相談してください。いつでも無料で全国から永代供養の相談に乗っております。
金剛宝寺 TEL 0967-44-0708