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2016年2月

いい葬儀マガジンにどこでもお墓参が掲載されました。

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結果において先進的な取り組みな感じである「どこでもお墓参(おーぼさん)」がいい葬儀マガジンさんに取り上げられました。

http://www.e-sogi.com/magazine/?p=1573

とても、丁寧にいきさつなどをご説明されておられるのでどんなことするの?どうやって申し込むのという方には是非一読していただきたい記事です。やっていることはすごく時代を先取りしているように感じるかもしれませんが、実際には従来やってきた遠隔地のご供養をより丁寧にしてだけのものです。これによって今まで対応できなかった散骨樹木葬手元供養などのお坊さんを呼ぶのはちょっと・・・というご供養でも対応できるようになりました。

どこでもお墓参は、いつでもどこでも何度でも本格的なご供養が動画を通じて出来る日本初の試みです。ご不明な点がございましたらいつでもお問い合わせください、。皆様のお悩みがすこしでも解けるよう精一杯のお手伝いをさせていただきたいと思います。

また、永代供養などの費用はそんなに出せないけどしっかりしたところがいいという方にも当寺のどこでもお墓参はお奨めです。是非、ご遺骨でお困りの方永代供養をご検討の方もご相談ください。(住職)

人工知能やロボットが仕事をする時代の仏教

急速に発達する技術によって人工知能やロボットの分野の技術革新が進んでいます。
今日本人が行っている仕事も49%は人工知能やロボットで置き換えが可能となるかもしれないという推計結果が野村総研より出されています。
ロボットや人口知能が人の代わりに仕事をするようになった時代にそれでも残る仕事は
創造的な仕事、協調性が求められる仕事、非定型的な仕事などとされています。
人がこの世界をどのように捉えて、どう生きてゆくかという分野を扱う仏教は
個人的には今後の世界でもしばらくは置き換えが難しい分野だと思います。
人の心は多様であり、同じときに同じものをみても反応が異なるのが人です。

ロボットや人工知能の作り手とその利用者2016219153852.JPGの間でどのように社会が作り直されてゆくのか考えてゆく必要があると思っています。機械化の結果、物やサービスの値段は今よりもさらに安くなることでしょう。雇用は機械ができないこと以外は一旦減ると思います。
ベーシックインカムなどの新しい社会保障も大多数の人が機械に勝てなくなり格差が広がる社会では必要になってくるかもしれません。
仕事というものが多くの人から手放されたとき、人は何をもって幸せを感じるのか?
何を生きがいにしてゆくのか、そういった社会では人の心の問題はより一層価値を増してくると見ています。
最低限食べてゆけるだけでは人は幸せになりません。幸せは物事の捉え方で感じるものです。幸せを自分で作り出すことができる心の教育に仏教を役立てていきたいと思っております。

社会の常識が書き換わるとき、人は多くの不安を抱きます。先が見えない、見通しがつかない、そういった状況は大きなストレスになると思います。こういった状況では仏教による人についての原理・原則から、新しく起きてくる現象をみてゆくと迷いが少なくなります。技術は進歩しても人は人のままです。世界に働く法則が変わるわけでもありません。2500年前も今も揺らぐことの無い視点から今、新しく起きてきている社会の現象をみてゆくと違った姿も見えてきます。多くの方に時代や国境を超える仏教の普遍性を学ぶことで変化の大きな時代を見通す灯火を得ていただけたらよいと願っております。(道陽)

仏教哲学は宗教とどう違うのか

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哲学の目的は思考の論理的明晰化である。(イマヌエル・カント)

哲学が取る立場と宗教がとる立場は基本的には大きく異なる。端的に言うならば、宗教は教えによる救済が目的となり哲学はその思想が人間にどういう影響をもたらすのかという思想の論理性の明晰化であると思う。

宗教者としての立場から、仏教哲学を語ると一言に己が身でその文献に書いてある事を実践しどんな結果がもたらされたのか検証してみたほうがいいと言いたい。そうすることでより哲学としての論理性をより飛躍させることができると思っている。実践は経典の単純な矛盾や、ノイズの傾向などが現場という新しいデータによってより論理性が明確にされるもので偉大な結果を生んだ仏陀の解釈にとても役に立つ

海外では、仏教は宗教ではなく哲学であるという論調がある。私も、実際に仏教の実践的応用を語る中で、これは科学に近いとか、物理学みたいだとか様々な言い方で評されることがある。あくまで、原始仏典の話をしている時のみなのだが。少なくとも原始仏典にはそれだけの論理性が備わっているというのは事実なのである。これを海外の方々が触れればやはり宗教ではないと言うかもしれない。

しかし、現代の日本に伝わっている仏教は様々な要素が加わって救済の現実的な仕組みとして宗教の特徴をよく含んだものとなっている。このことから一般的な日本人には仏教=宗教という構図は変わらないのである。しかし、仏教哲学≠宗教だと私は考えている。(住職)

縁結びのパワースポットのご紹介

今日は縁結びの寺として当寺のパワースポットのご紹介をしてみようと思います。

阿蘇という地区にはなにかと縁結び関連の寺社がありまして、ここですか?なになにの縁結びのパワースポットはどこですか?
うんうん、それはうちじゃないところですね。という会話がたまにあるほどです。

私的なパワースポットの解釈としては、聖地とか神々しい場所とかご利益が出やすい場所とかを総称してパワースポットと呼んでいると思っています。なので難しいことはさておき、行けば解かるよという場所がそれなのかなと思います。

当寺のお参りに来る人でもっとも多いのが男女の縁を求める縁結びです。当寺の本当の縁結びは人が幸せになる為の縁なんですけど、入り口のえんむすびの旗みて参拝される方はどうも男女の縁が多いようです。ネットを見てとか、自分達のことをよく知っている方々はまず人生相談から始まるんですけど・・・・。

そろそろ・・・。

前置きが長い!
早く縁結びスポット紹介して!
という声が聞こえてきそうなのでお奨め順位から順に縁結びパワースポットご案内~

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1.恋占いの石

これは実は占いということで、いろんな仏教的な縁結びの意味合いで作られています。難しいことはさておき、愛染明王の梵字が記されている石に目をつぶって到着すればいいわけです。それで、恋愛が成就しますよーというものです。当寺の縁結びでは一番人気なんじゃないかなこれ。でも、上手くいかない人が意外に多いのも恋愛の難しさを表わしていたりいなかったり・・・まあ、占いなんで楽しんでください。どーしても恋愛が上手くいかないという方は相談してくださいね。それが縁結びには一番早いと思う。年中相談に乗っていますので。

 

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2.夫婦岩(めおといわ)

恋占いの石のとなりになにげにあるのがこれ。恋人で終わるのではなく夫婦にならなきゃだめでしょというわけで、その次のお参りどころもあったりします。この寄り添うような岩の形が夫婦という関係をよく表わしていますね。お互いが支えあう関係それが正しきパートナーの姿ですね。一方的な関係は長続きしないものです。おっと、またお説教くさくなってきたんでこのあたりで。

 

 

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3.道祖神(ある愛の形)

これ、実にダイレクトなお姿ですね。なんの神様なの?と思う方もいるでしょうからご説明をしましょう。これは道祖神といって本来は道に迷わないように案内をする神様ですね。当寺の場合は人生に迷わないように、目的の相手が見つかりますようになどの人生の道案内をしてくださる神様としてお祀りしています。仲睦まじき素晴らしきことですね。

 

 

2016219132134.JPG4.愛染明王

これは実は大師堂というお堂の中のお厨子におられる仏様です。残念ですが直接見ることはできません。当寺の恋愛のご本尊様とでもいいましょうか。よく見ると結構怖いお顔をしております。明王系の仏様は、力をもってうだうだしている気持ちをねじ伏せて強引に恋愛を成就させるという働きを表わしているのでちょっと強面なんですね。愛憎の苦しみはお釈迦様も語っておられますが人生の大きな喜びでもあり悲しみでもあります。ご利益をいただき、その荒波を乗りこなして素晴らしい人生を送りましょう。

 

 

 

 

 

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5.石の曼荼羅(いしのマンダラ)

これは中央のサークルを囲むように108の石が煩悩を落とすように配置されています。神事でこの場所を使う時には仏様をお招きする台座になりますが、普段は見てのとおり様々な方がここで和んでいます。一番パワースポットぽいかもしれないなあ。確かにご利益はあるんだけど。ひとまず中央でそのご利益を感じてください。神事の中心となる場所です。

 

 

他にもあるんですが、紹介するのにちょいと疲れたのでこのあたりで今回はおしまいです。当寺の境内は阿蘇の国立公園の中にありますでの天気がいい日は最高公園になります。是非、お参りにきてくださいね。(住職)

 

お守りの紹介その6 誘惑と周りからの声援とその後の説教

昨今、「押したくても押せなかったあの頃の自分へ」と称して『インテリア用』としての非常警報装置がどこかで売られているそうですが、

ああいうのって「押したらダメ」とか、その後どうなるのかわかってても押しそうになる誘惑の波動を周囲に放ってると思います。

その誘惑に負ける&ほんのすこしの度胸と好奇心&まわりからの「やれーーー」というはやし立てに逆らえずつい押してしまったその後は、けたたましい警報音と共に周囲の大人からの雷数発が待っているわけです。

 

インテリアなんかじゃ満足できない、さりとて魔がさしたとか後ろめたさ無く実物を押したい人は、職場なりで消防関係の責任者になると訓練なんかで押す機会があると思います。堂々と押せますので頑張ってください。

 

というわけで、今回紹介するお守りがこちら

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魔除けにもなり、感情の起伏をおさえ忍耐力を与え、最後までやり遂げる力を補助し、成功を導くというオニキスが使用された念珠です。普通にアクセサリーとしても身に着けていただいてもOK。

なにか成し遂げたいことがある人にお勧めです(こちらからどうぞ) 

あ、当然ですが成し遂げたいって警報装置のボタン押すことじゃないですよ。      (スタッフ)

お守りの紹介その5 コシヒカリ号を守りたい

春が近いですね!

寺はここ2,3日雪積もってましたけど!

 

コシヒカリ号、今はもうないんですけどね。

何の話かって、 「自 転 車」 です。

 

私のかつての愛機の名前でございまして、学生時代は通学にバイトに買い物にめっちゃ活躍してました。

何がすごいって二度鍵壊されたりして盗まれても帰ってきたんですよね。

*単に一回は次の日元の位置に戻ってきてて、二回目はとぼとぼと徒歩で帰ってたら知らん人が乗ってたんで交渉して返していただいたってだけなんですが。

 

そんなこんなでこれからの季節、新しい自転車を購入したりすることもあるでしょう!

今回紹介させていただくお守りはこちら!

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お守りのかたちとしては珍しい自転車用の盗難防止ロック型のものです。説明にもありますが、

あくまで「お守り」ですので本気の盗難防止には向いてませんので、

そこだけ気を付けてくださいませ。(実際の大きさも市販されてるロックよりやや小さめです)

重量もそんなにないので、かばんにつけても大丈夫です。

色は5色用意させていただいてます。興味のある方はこちらからどうぞ。            (スタッフ)

 

終活セミナーに参加して思うこと

先日福岡市内で終活セミナーに参加する機会がありました。
保険や預金、相続、遺言いろいろ実務的な話を聞かせていただき、確かに
準備はしたほうが良いだろうなぁという感想でした。
と同時に多くの人は自分が死ぬという不都合なことをで

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きるだけ考えたくないという気持ちもよく理解できます。誰しも見たくない事実は避けて通りたいと思います。
人は生まれた以上、今の世界では必ずいつか死ぬことになります。
そのときに悔いながら、失意のうちに亡くなるのか?自分の人生は悪いものではなかった
と周囲に感謝して「ありがとう」といって旅立てるのかはその人のものの見方・考え方によると思っています。また自分の生きた証を次代に残したり、未来に対して希望を抱くことができるように心のケアをしてゆくことは私たちの役割だと思っております。
古来からある魂の不滅や天国の存在はそういった希望の一つの形だと思います。

私と生前交流のあったある職人さんの話ですが、晩年に彼と共にひとつのお堂を作りました。しばらくして彼は天寿を全うし亡くなりました。彼の作った作品は今もお寺の境内にあります。そして残された奥さんや子供さんやお孫さんが時々お参りに来て「このお堂はおじいちゃんが作ったんだよ」といいながら皆でお参りをしている姿を目にします。


人の肉体は自然の摂理で亡くなりますが、その人の想いや残されたものは時を越えて残るものだと思います。心のケアや引き継がれる想い、私たちにできることはまだたくさんあるのではないかと思っています。お寺という仕組みは時や世代を超えてお預かりしたものを守り抜くという性質があります。また死後の世界への案内人でもあります。そのための作法や仕組みが多く伝わっています。目に見えないもの形の無いもの、今すぐ手に取れない分かりにくいものですが、本当に大事なものは物・形に無いところにあります。
多くの人が目先の分かりやすさを求めること、それが生きるために必要なことも承知しています。人の想いが時を越えるためのお手伝いや死後の未来に希望を抱けるお手伝いをさせていただけたら良いなと思っております。先人が2500年にわたって残してきた仕組みにはそれなりの根拠はあると思っています。(道陽)

お守りの中に入っている護符について

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昔ながらのお守り袋などには護符と呼ばれるものが御神体として入っています。

これは、願い事が叶いやすくなるように当寺が仏様の働きや神様の働きを護符としてパッケージングしたものです。
例えば、恋愛に長じた愛染明王や不幸の身代わりになってくださる身代わり不動など。そしてその働きが出来るだけ早くご利益がでるように様々な工夫が施されています。よく、お守り袋の中身を取り出すとご利益がなくなるとか、開けてはだめだとか様々な事が言われていますが、基本的には問題ありません。

しかし、開けることによって中身を見てイメージと違う、幻滅した、なんかご利益なさそう、などと思うとこれは必ずご利益が無くなります。そもそも、お守りのご利益が出る最大の鍵は信じる心です。これを自ら無くしてしまえばどんな素晴らしいお守りでも効果を失います。ですから、よくわからないという方はあまり袋を開けないほうが良いかもしれません。それに出す時に中の護符を傷めたりすると気分的に嫌な気持ちになりやすいので出す時は注意が必要です。興味本位程度なら開けないほうがよいのです。(興味本位の方はこの記事の写真で満足してください)

御神体の護符は神社やお寺でオリジナルで作る場合とお守りを作る過程で中に仕込む場合とがあります。複雑な形のお守りは後から護符を入れることができないのでお守りを作ってくださる方々にお願いしてあらかじめ入れてもらいます。場所が違うのに護符が同じという時はそういう時に起こります。中身が同じといえども、そこから御心を入れるのでその場所のご本尊様や御神体のご加護を付加していくのでやはり違うものと言えるでしょう。

時代に合わせて様々なお守りが作られておりますが、お守りの基本は信じる心です。自分がこれなら気持ちが入りやすい、大事にしたい、可愛らしい、などの気持ちが一番動くお守りがもっともご利益のあるお守りになるのです。それでも、ご利益が得られないという方がおられましたらご相談ください。何かご利益の出にくい事があるのかもしれませんので無料でアドバイスさせていただきます。(住職)

 

不倫と聞いて「ドキッ」としない人は読まないでください。

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いやあ、縁結びの寺不倫の話題?
頭大丈夫かと言われちゃいそうですが、実は・・・・。相談が多いんですよね・・・・。

ということで、絶賛不倫してる!
不倫しそう!もう終わった・・・・。という方もまとめて人生の解答編です。

パチパチパチパチ・・・・とならないか(笑い)

まず、不倫と書くように倫理的に問題だというわけです。
倫理的に問題だと何がいけないわけ?

まず、悲しむ人がたくさん出ます。

自分の家族、相手の家族、親族、友人、知り合い・・・・まあかなーりたくさんの人を悲しませることでしょう。自分が紹介した人が不倫なんかしちゃったら、責任問題になってしまう・・・・。とまあ、たくさんの人に不幸を振りまくわけですよ。

すると本人達はいたって真剣、いたって幸せなんだけど、時間をおいて不幸を振りまかれた方々が不幸をお返しに来てしまうものなです。だから、お寺的にはまったくお奨めできない行動なんですよね。

芸能人のベッキーさんもこのパターンだと思うなあ。

とはいえ、じゃあなんで解かってて不倫なんかするの?不倫したことが無い人は思うはず。

不倫する職業の特徴は、
仕事が忙しく、家に夜遅くしか帰れない、もしくはそもそも家に帰ってこない。だから不倫する人たちはどちらかというと高収入、高学歴、出世頭、著名人・・・・・。

困ったものです。

要するに、すれ違っているわけです。愛情が。これに早く気が付いてすぐに生活を改めてくれるのが一番なんですが、やめられない止まらないのが人間ですね。極めて本能的なことなので逆らえない人続出です。それでよく懺悔で当寺の修行に来てます(涙)

どうやったら愛情の交換が上手くいくのか、その鍵は相手の価値観にあります。おいしい食べ物を食べて喜ぶのは誰しも同じですが、何がおいしいかは一人一人違うのです。これに気が付かず相手が喜ぶ事と信じてやり続けると・・・・気が付くとすれ違っていたりするのですね。少ない時間でも細かい気遣いで相手は感動するものなのです。

愛情を与える達人になる。それはある意味、あなたが相手から感謝され毎日が幸せな日々になるもっとも近道だと思います。是非、相手をどうやって喜ばせることができるか真剣に学んでいただきたいと思います。不倫なんかされていては駄目です。もちろん不倫しても駄目です。もっと、まともな異性を引き寄せてください。いいように使われる関係にゴールはありませんよ。

いやあ、ひとしきりお説教したところで、もうすべて忘れられていそうですから最後におさらいです。

1.与えた悲しみ不幸はみーんなまとめて増えて返ってきます。
2.相手に与えた喜び感謝もみーんなまとめて増えて返ってきます。

どちらでも自由に増やせますのでお好きな人生を送ってくださいね。
今回はここまで。(住職)



 

仏陀という存在の理解に必要な事

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仏陀=お釈迦様というのは厳密には違うと思う。

なぜなら、仏陀=ブッダであり、ブッダ=覚者だからである。ん?なにを言いたいのかよくわからないと言われてしまいそうだが、覚者というのはいわゆる悟りを得たものという意味であるから、ブッダとは正確には目覚めたもの、悟りを得た者であるわけで、対象がたくさんいるということになる。

だから、仏陀=お釈迦様ではなく、正確には仏陀=目覚めた方々(お釈迦様を含む)なのである。
ここでそんなはずはない、真の悟りとはお釈迦様だけだ、そんなことを思う方もいるかもしれない。しかし重要なことは真の仏陀ではなく、目覚めた者の定義である。原始仏典に近い経典を読んでいくとお釈迦様は様々な人に法話をしている。その中で、よくこの世界の本質的事象について理解できたものに「目が醒めた」というような表現をし目覚めた者として認定しているシーンが多々ある。

ここに一つの示唆があって、目覚めた者は必ずしも仏教を極めた賢いものではない。その例えに、掃除しかできないチューダ・パンタカという悟ったと認定されたお釈迦様の弟子は逸話の通り頭はそんなによくないどころか、自分の名前すらも忘れるほど賢くなかったと言われていて、この者が悟った人、目覚めた者という定義であるならば、お釈迦様の掴んだ悟りの境地とチューダ・パンタカの悟りの境地は深度が違うと考えられるのではないだろうか。

事実、歴史上の偉人や偉業を成し遂げた方々の悟りと、お釈迦様が直接説法した多くの人々の悟りはその後の得られた結果も含めて大・小があったことが推定される。仏教界では大悟という表現があるように、悟りは誰にでも理解できるものであるが、(お釈迦様が多くの一般人に法話したという事実より推測)使いこなすには深い理解が必要と言えるのではないだろうか。

こうも小難しく、仏陀の定義や悟りの定義などを話すと頭が混乱するのですこし整理してみよう。

1.お釈迦様は多くの一般人に法話して内容も含め支持されている。
2.賢い人物以外でも悟りを得ている。数多くの人がお釈迦様の法話によって悟っている。
3.悟りを得た人は、悩み苦しみの世界から抜け出している

整理すると思うことが、私はお釈迦様が現代にいるとすればやはり現代の生きた成功者を例えに様々な法話をするだろうと思う。なぜならば、彼がやりたかったことが徹頭徹尾、人々を悩み苦しみの世界から解き放ちたかったという事に対して、難しい話をしたり、聞いたことも無いような話を一般の人が共感すると思えないからである。

私も普段は、仏教をわかりやすく説明することにかなり注力している。そのおかげで、非常に解りやすいとお褒めいただくことがとても多いのだが同時に、しっかり仏教を勉強したい人に、本当の意味でどんな国の人でも、どんな職業でも、どんな年齢でも説法自在であるから仏教なのだと言いたい。

仏教は実践の中で、掴むものだと私は常に思うと同時に1秒でも早く多くの人に目を醒まして欲しいと願うのである。そのお手伝いこそが自分の楽しみでもあり、社会に対する恩返しでもあると思う。(住職)


 

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