金剛宝寺の歴史~開けない寺からの脱出~

 金剛宝寺は平成7年開創の若いお寺です。 金剛宝寺の前身である寺院はかつて福岡県瀬高町(現 みやま市)にあり、福岡県南部を中心に多くの信徒を束ねていました。

当初は、昭和の終わり手狭になったことから瀬の本高原に修行道場を造るという計画から始まり、金剛宝寺というひとつの寺院が生まれました。

短い歴史の中で目まぐるしく発展を遂げている金剛宝寺。 しかし多くの困難を乗り越え奇跡とも思えるの不思議な力で切り開かれてきたのです。

原野からの開拓 

 この地は当初、病院保養所の建設予定地でもありました。 平成元年 現在の境内地は原野の頃から平野になっていて、背の低い竹が生い茂っていました。

平成元年 中央の広場が原野時代の金剛宝寺 右手は三愛社員寮

 

平成元年 金剛宝寺原野への入口(正面の木と木の隙間)は江戸時代から残る参勤交代道でした。

 

平成元年 木や草が生い茂る原野の金剛宝寺。

開拓がはじまる前、一面を覆っていた竹は寺の開拓を待っていたかのごとく、

60年に一度といわれる花を咲かせ、枯れてしまいました。

 

平成3年頃 参道を切り開く工事中。

 

平成5年 開拓された境内とま新しい石のマンダラ

 

平成6年 金剛宝寺会館予定地の造成中

 

平成7年頃の入口 手前が旧国道442 左手の道が参道

 

平成9年 建築中の大師堂 

 

開けない寺から奇跡の脱出1  

 近くを通るやまなみハイウェイ(現在は県道11)は当時、料金の高い有料道路で、瀬の本高原は現在のように多くの観光客が気軽に訪れるような土地ではなく、信者達も寺に気軽に来ることができませんでした。

すると平成10年には無料化され、瀬の本高原は気軽に観光のできる開けた土地となり、金剛宝寺への道がひとつ開けたのです。

 

 瀬の本高原へのアクセスは良くなったものの、入口の杉林を伐採した参道は、車一台分がやっと通れる広さで、離合することもできませんでした。

参拝に来る人々も入口がわかりにくい為迷い、やっとたどり着いても駐車場がなく、入口のうっそうとした杉山に不安を感じ、参道まで入って来ても途中で引き返す人がほとんどでした。

スギ林を伐採しただけの参道(現在の第一駐車場)

 

その土地の地主に土地を分けてほしいとお願いしましたが、譲ってもらることはありませんでした。

しかし、ある日地主が事故に遭い、経済的に困ったことで土地を売ってくれることになったのです。こうして、寺の入口を広げることができ、短い年月で境内の開拓は年々着実に進み、整備されていきました。

 

開けない寺から奇跡の脱出2 

 しかし、寺の入口が整備されても、旧国道がカーブし道路と寺の入口に高低差がある上に、入口が狭く鋭角になっていてた為参道に入りにくく、駐車スペースもありませんでした。

平成10年頃の入口

 

瀬の本高原は規制の厳しい国立公園内であることから、国道の入口付近は造成や、杉の伐採を許可してもらえないことから入口を広げることはできず、寺は閑古鳥が鳴き続けました。

「このままではこの寺は一生開けず、広く世間には認められない・・・」

当時の職員は、いつか杉林の狭い入口が広がり、もっと多くの人達が安心して入ってこれるお寺になることを祈り続けました。

 

すると、平成14年に国道の改修工事が始まり、新しい国道を通すまでの仮道に入口の土地を使わせてもらうことを条件に、杉林の伐採と、土地の造成が許可されたのです。

そして、広い第一駐車場も整備することができました。

 

ついに4年に渡る国道の改修工事が終わり、平成18年には現在の瀬の本大橋が完成しました。

国道は高い位置に移動しカーブのない広々とした直線になり、国道から入りやすい現在の形になることができたのです。現在では通りがかりでも気軽に多くの参拝者が訪れることのできる開けたお寺となりました。

 

現在の入口と国道(瀬の本大橋)

 

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